
人脈、経験を駆使!年収大幅減でもゆとり生活を送る「熟年ダブルキャリア」
ルポ!「人生の選択」笑うアリvs泣くキリギリス【元商社マン「NPO&作家」の夢を追う】
作家とNPO。セカンドライフを送るのに申し分のない地位と場を彼はどうして手に入れたのだろうか。
文=荻野進介 撮影=永井 浩
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布施さんは1947年、東京都生まれ。一橋大学商学部卒業後、三菱商事に入社。約15年間、海外勤務を経験する。98年よりセイコー・インスツルに勤務。2002年、退社。現在、NPO法人国際社会貢献センターのコーディネーターとして活躍する一方、執筆活動を続けている。
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布施克彦は元商社マンである。風貌が作家の渡辺淳一に似ているが、実は彼自身も作家なのだ。55歳でサラリーマン生活を引退し、現在60歳。出した本は12冊にも上る。
一方、並行して、NPO活動にも携わっている。元商社マンの海外経験や知識を種々の社会貢献活動に役立てようという趣旨で、商社の業界団体が資金を出してつくられた国際社会貢献センターという組織である。商社のOBということで先方から誘いがきて「面白そうだ」と入会。神戸大学で、インド駐在時代の自分の仕事経験を学生相手に話すと意外に好評だった。現在は自らもいくつかの大学での講義をこなしながら、多くの大学に働きかけ、授業と人材をコーディネートする役割を担当する。報酬は月5万円ほどだ。
作家とNPO。セカンドライフを送るのに申し分のない地位と場を彼はどうして手に入れたのだろうか。
布施は大学卒業後の1970年に三菱商事に入社し、鉄鋼貿易業務に従事してきた。90年、43歳のとき、5年半のサンフランシスコ駐在を終えて帰国する。その際、2つの選択肢があった。1つは同じ鉄鋼部門。もう1つは未知の分野であった情報産業部門への転籍である。布施は悩んだ末、安全牌で前者を選択したが、帰国後、選択は失敗だったことに気づく。円高が進み、国内コストが上昇、日本で鉄をつくっても引き合わない時代になっていた。布施は、「このまま会社にいても出世は見込めないと思いました」と述懐する。
それからの布施の決断はすばやかった。50歳になったら会社を辞めて、物書きになろうと決意したのだ。「なぜ物書きだったのかはわかりません。文学少年でもなかったし、小説を書いたこともなかった。でも、会社の業務報告書は熱心に書き、上司から面白いといわれたことがあった。それが遠因かもしれません」と布施は振り返る。
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