実践ビジネススクール
2009年 4月 20日

大前研一|虐げられるサラリーマン大逆襲への道

その手があったか!誰も豊かになれない日本の非常識

同じ大学を出たのに20年後の年収は「4倍以上」も違う。こんなことがまかり通っているのは、実は「日本」だけなのだ!

だが実際のところは、テレビ業界ひとつとっても、下請けの制作会社に仕事を丸投げするだけで厳しくも何ともない。むしろ仕事の厳しさと給与は逆比例している、という皮肉な現象にもなっている。給料の高い業種では、安い下請け外注を使って自分たちはあまり働かない、という悪しき慣習が跋扈するからである。

結局、サラリーマンは業種に関する情報を正しく得ていないのである。新卒の就職活動で大卒の初任給は調べても、20年先の給料を調べることはしない。ろくに就職活動もしないで、卒論を指導してくれた大学教授のコネや紹介で就職先を決める場合も多い。

私の出身学部は理工学部の応用化学科だが、成績のよかった同期の友人たちは、一様に教授のご推奨で当時花形産業であった繊維会社や化学メーカーに就職した。しかし40歳になったときに開かれた同窓会の頃には、すっかり構造不況業種に成り果て、不況対策室長といった肩書ばかりだった。逆に羽振りがよかったのは、学生時代の成績が悪くて商社やマスコミに行った連中である。

先生や親のアドバイスも就職情報誌に掲げられたバラ色のようなプレゼンも、結局は偏った情報にすぎなかった。そうした情報だけで会社選びをしてしまうと、ボウリングでいえばガーターレーンにはまってしまうような会社人生を送ることだってありうるのだ。

「暇になると従業員をクビにする」の真意

また業界格差という点では、私が日本で開拓したコンサルティングファームや最近では投資銀行のトレーダーなどは、世界標準の給与体系がとられているので、40歳を待たずに1億円プレーヤーになることもできる。年収300万円と3億円、400万円と4億円という、100倍もの年収格差が日本でも現実に出てきているのだ。ただし、その仕事ぶりは半まで働くのは当たり前の世界なのである。

私がマッキンゼーの支社長時代、日本で最優秀の頭脳集団をつくろうと思い、540人ほどリクルーティングをした。当時、入社してくる全員に前もって言ったのは、「ウチの会社は毎年20%ずつ退社してもらうから、1年後にあなたが残っている確率は80%。5年後に残っている確率は33%」ということだった。

生存率33%を生き抜けば、6年目から「パートナー」と呼ばれる立場になる。さらに6年後、すなわち12年後には「ディレクター」になることもできるが、その確率はさらに5分の1。つまり入社しても、5~6%の確率でしかディレクターにはなれない。ただし、年収は1億円以上!である。

雇用保証は一切なし。成果が評価のすべて。日本の学卒対象者の雇用制度としては、過去に例を見ないシステムだったが、誰一人不満を言わずに辞めていった。

なぜか? 彼らはどこの世界にいっても通用する「問題解決能力」を徹底的なトレーニングによって身につけたからだ。結果、元マッキンゼーの人材は、さまざまな分野で活躍している。雇用保証はしないが、路頭に迷わないようにするのが私の務めだと思っていたから、とにかく厳しく仕込んだ。当時はよく「大前は鬼だ、悪魔だ」と言われたものだが、今となっては皆から「あのときのおかげで今、飯が食えています」と言ってくれる。

前のページへ 1 2 3 4 5 6 7 次のページへ
プロフィール

大前 研一

ビジネス・ブレークスルー大学院大学学長

1943年、北九州生まれ。早稲田大学理工学部卒。東京工業大学大学院で修士号、マサチューセッツ工科大学大学院で、博士号取得。日立製作所を経て、72年、マッキンゼー&カンパニー入社。同社本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、94年退社。現在、自ら立ち上げたビジネス・ブレークスルー大学院大学学長。近著に『ロシア・ショック』『サラリーマン「再起動」マニュアル』『大前流 心理経済学』などがある。 >>大前経営塾

Feedback
この記事を 全部読んだ
  一部だけ読んだ
  あまり読まなかった
内容は とても参考になった
  まあ参考になった
  参考にならなかった
 
サイト内検索
プレジデントのおすすめ記事
特集
経営者たちの40代

武田薬品、富士通、資生堂……。経営者の知られざる素顔を描く。

朝礼のヒント

絶好調企業は必ず効果的な「朝礼」をしている!レポートはこちらから

プレジデント最新記事