
武田國男:「鳥の目」の手法が育んだ大局観
経営者たちの四十代:武田薬品工業会長[1]
小さいときから、長兄とは食べる物も着る物も差があった。「傍流」だからこそ、汲々とすることもなく、全体像がよくみえた。
経済ジャーナリスト 街風隆雄 撮影=門間新弥
淀みきった会社をどうにかしたい
1983年7月、本社の課長職から米シカゴへ赴任する。43歳。武田薬品工業が米アボット社と設立した合弁会社で、新工場を軌道に乗せる任務を携えていた。
着任して、いきなり「ぎりぎりの選択」に直面する。
工場は、すでにミシガン湖の近くにできていた。感染症用の抗生物質3品目の生産が当局の承認も受け、稼働目前だった。だが、改めて計画を読み直すと、疑念が湧く。
「この計画は、市場予測を徹底的に詰めているのか?」――こういうときの勘には、格別のものがある。
武田からの派遣者の多くは「何をいまさら」と知らん顔だったが、なかに真面目一途な部下がいた。2人で休日にも出社し、抗生物質の市場動向や競争相手の動きを分析。抗生物質の大家を訪ね、意見も聞いた。
出た答えは「NO」だった。よその社から、翌年にもより先を行く競合製品が出る予定だとわかり、巨額の投資額を回収しきれそうもない。急遽、抗生物質はやめて、もう一つの候補だった前立腺がん治療薬の生産に切り替えることにした。前立腺がん治療薬は、米国だけでも高い需要が見込め、武田の「将来」を支えることが期待できた。
だが、当時、抗生物質は欧米勢がこぞって手がけ、「ドル箱」とされていた。本社の面々は、その「目前の利益」ばかりを考え、切り替えに反対する。説得に飛んで帰ったが、外資攻勢にもさらされず、ぬるま湯に浸っていた役員らは聞く耳を持たない。それでも、最後は、武田さんの「大局観」が勝った。
街風 隆雄
経済ジャーナリスト
つむじ・たかお●1947年生まれ。71年慶応義塾大学経済学部を卒業後、朝日新聞社に入社。経済部記者として産業キャップ、金融キャップ、経済部次長、静岡支局長、本社編集委員などを歴任。2007年独立。著書に『私の源流―トップ経営者からのメッセージ』(朝日新聞社)などがある。
武田薬品、富士通、資生堂……。経営者の知られざる素顔を描く。
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