
野副州旦:「黒衣」も厭わず人脈を形成
経営者たちの40代:富士通社長[1]
怒鳴り声は、部屋じゅうに響く。次期社長の候補と思っていた人は、ほぼいない。
経済ジャーナリスト 街風隆雄 撮影=門間新弥
駐米生活は「007」顔負け
1989年6月、米国の首都・ワシントンに富士通事務所を開設し、初代の所長となる。米国勤務は二度目。70年代後半のニューヨーク駐在では、最大の競争相手であるIBMの動向を探るのが仕事だった。それも難しい役だったが、今回はさらに厳しい環境下に置かれていた。
日米間で、貿易摩擦が激化していたのだ。IT業界も半導体摩擦に見舞われ、米国にはダンピング関税など報復措置の動きが強まっていた。さらに、富士通は米国にスーパーコンピューターを売り込んだことで、より強い逆風を受けていた。
ワシントン事務所長の任務は、当然、それらの摩擦への対応だ。米議会の日本たたきの動きや政府の意向を探り出し、本社へ報告し、親日・知日派の議員らに保護貿易的な動きを止めてもらうよう、ロビーイングする。ワシントンの北側にあるビルの一室を借りて拠点を整えたのは、42歳になる直前だった。
ビルの主は、カーター政権で通商代表を務めたロバート・ストラウス氏。その下に、かつて政府のスタッフとして日本たたきの策を練っていたメンバーが、多数、弁護士になって集まっている。その中に、議会の承認を得なくても大統領が署名すれば報復措置をとれるようにした「ファーストトラック」手続きを起草したリチャード・リバース氏もいた。
「貿易摩擦解消の道を探るには、摩擦関連の法令をつくったメンバーを味方にするのが、いちばん手っ取り早い」。野副さんは、いつもの「簡明な答え」を携えて、ワシントン入りした。ストラウス氏やリバース氏らの事務所に、富士通の代理人となってもらうよう交渉し、「すでに松下電器産業(現・パナソニック)の代理人をしているから、まずい」と断られても、あきらめない。松下はハリウッドの映画会社を買収、映画などコンテンツの権利問題の処理を、ストラウス氏の事務所に委任していた。「こちらはIT分野。決して競合しない。ITの問題だけでいいから」と粘り、ついに頷かせる。
街風 隆雄
経済ジャーナリスト
つむじ・たかお●1947年生まれ。71年慶応義塾大学経済学部を卒業後、朝日新聞社に入社。経済部記者として産業キャップ、金融キャップ、経済部次長、静岡支局長、本社編集委員などを歴任。2007年独立。著書に『私の源流―トップ経営者からのメッセージ』(朝日新聞社)などがある。
武田薬品、富士通、資生堂……。経営者の知られざる素顔を描く。
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