
「分裂」したマイケル、「統合」したオバマ
堀田佳男の「オバマの通信簿」【14】
彼の死後、世界中の人がマイケルの大ファンであったかのような報道が目立つが、私はむしろ醒めていた。
文=堀田佳男
私はマイケル・ジャクソンのファンではない。彼の死後、世界中の人がマイケルの大ファンであったかのような報道が目立つが、私はむしろ醒めていた。
マイケルの音楽分野における希有な才能とエンターテイナーとしての卓越した能力は否定しようがないし、1982年にギネス記録にもなったアルバム「スリラー」のビデオを初めて観た時にはテレビ画面に食い入った。しかし、マイケルのアルバムを買ったことはない。彼の音楽性の高さを認識してはいても、マイケルの歌で鳥肌は立たない。むしろ彼のバックコーラスを経て、メジャーデビューしたシェリル・クロウの音楽に大きな共感をおぼえる。
それでもマイケルの成し遂げたものは大きい。アメリカの音楽雑誌『バイブ』の編集者ダニエル・スミスは「マイケル・ジャクソンこそが黒人と白人の壁を最初に越えたミュージシャン」と表現する。アメリカにいる知人(白人女性)は、「子供の頃、祖母が唯一聴くことを許してくれた黒人歌手がマイケルだった」と、彼女にとって人種の垣根を越えた最初の歌手だったことを明かす。マイケルのコンサートでは白人女性がその姿態と歌声に卒倒した。
彼は明らかに人種を越えた魅惑を宿していた。それは08年の大統領選でバラック・オバマが登場した政治シーンに通ずるものがある。2人の年齢差が3歳ということもあろうが、アメリカ国内だけでなく、世界中にバイブレーションを励起させた力は強烈だった。それは万人が認める。
だが、マイケルは自己内部に白人への強い羨望と葛藤を抱えていたと思われる。それは80年代後半から徐々に白くなり始めた肌の色やたび重なる整形手術に如実に示されている。肌の変質は尋常性白斑という皮膚病のためといわれるが、真相は明らかではない。本人は明らかに生まれもった褐色の肌色が薄まっていくことに満足しているようだった。黒人特有といえる鼻孔の形を狭小にしたことも、黒人からの離脱と受け取れる。幼少時、父親から「おまえの鼻は恰好が悪い」となじられたことが遠因にあるともいわれる。
アフロだった髪の毛をストレートにし(死去した時はかつら)、唇を薄くしたことは潜在的な劣等意識の克服をカネで成就させたとも受け取れる。マイケルが黒人の外見的要素をことごとくそぎ落としていったため、多くの黒人は「裏切り野郎(トレイター)」と呼びもした。
「ジャクソン5」の曲で育ったアメリカの黒人たちは、80年代後半から際立ちはじめたマイケルの容姿の変異をみるにつけ、
「マイケルはもう俺達の側にはいない」
とつぶやきもした。90年代後半、ワシントンの路上で、ある黒人男性が、
「あいつはもう黒人じゃない」
と蔑んだ言葉を私は今も忘れない。
堀田 佳男
1957年東京生まれ。早稲田大学 文学部を卒業後、ワシントンDCにあるアメリカン大学 大学院国際関係課程修了。大学院在学中に読売新聞ワシントン支局で1年間助手を務める。卒業後、米情報調査会社に勤務。アメリカの日刊紙の日本語ダイジェストの執筆・編集に携わる。永住権取得後、1990年に会社を辞して独立。以来、ジャーナリストとして政治、経済、社会問題など幅広い分野で精力的に執筆活動を行っている。25年の滞米生活後、2007年春帰国。
著書に『大統領はカネで買えるか?』(角川新書)『大統領のつくりかた』(プレスプラン)など。
武田薬品、富士通、資生堂……。経営者の知られざる素顔を描く。
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