キーパーソン図鑑
2009年 8月 29日

芦田昭充:全社を一つに束ね直す「直接対話」

経営者たちの40代:商船三井社長[2]

他人が「できない」と言うと、「じゃあ、やってみるか」という道を選んだ。

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葛藤しつつも船員削減に奮闘

<strong>芦田昭充</strong>●あしだ・あきみつ<br>
1943年、島根県生まれ。67年京都大学教育学部卒業、大阪商船三井船舶(現商船三井)入社。93年欧州・大洋州部長、95年定航一部長、96年取締役企画部長、98年常務、2000年専務、03年副社長。04年より現職。07年から経済同友会副代表幹事も務める。
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芦田昭充●あしだ・あきみつ
1943年、島根県生まれ。67年京都大学教育学部卒業、大阪商船三井船舶(現商船三井)入社。93年欧州・大洋州部長、95年定航一部長、96年取締役企画部長、98年常務、2000年専務、03年副社長。04年より現職。07年から経済同友会副代表幹事も務める。

若いときにたとえ地味な部署にいても、挑戦を続け、頭角を現せば、いつの間にか出世の階段を上っていることがある。でも、そこで気を緩めれば、いとも簡単に足元は崩れてしまう。40代とは、そんな分かれ目のころだ。かといって、ただ気を引き締めれば済む、というわけでもない。必ず、試練が来る。そのときに、どう過ごすかだ。

芦田さんの場合、他人が「できない」と言うと、「じゃあ、やってみるか」という道を選んだ。それが、「会社が潰れるかもしれない」とまで思わせた大試練を、しのがせる。

87年6月、44歳で、定期船部門の花形ポストである欧州一課長から、企画部の調査役へと転じた。地味な肩書だが、実は、これまた、歴代エリートたちが通過した要職。業界大手が輪番で務める日本船主協会の会長に、自社のトップが就任したときの「秘書役」が仕事だ。

だが、在任2年、苦渋に満ちた日々が続く。当時、「プラザ合意」後の円高急進で、日本人船員の給与水準は国際的にみて高額となり、海運会社は軒並み競争力を失っていた。着任した企画部では、部を挙げて、船員の大幅な削減策を進めていた。

船員には、航海士や機関士などの上級船員と、「部員」と呼ぶ一般船員があった。「部員」は、その3分の1に希望退職に応じてもらい、給与水準が安いフィリピン人へ切り替える。上級船員には各種の受け皿会社をつくり、移籍してもらう。総勢2300人のうち、4割にあたる900人余りを減らす計画だった。

船主協会会長となった社長に付いて霞が関や永田町を回る傍ら、その計画の遂行も手伝うことになる。希望退職の募集は50代が中心。多くが郊外にマイホームを持ち、住宅ローンの返済もほぼ終えていた。当時は55歳で年金の受給が始まったから、給与の5年分を退職金に上乗せした。「部員」でも、総額が3500万円になる。だが、船員たちは「陸に上がる」ことを嫌がった。彼らを管理する海務部も、強引な「肩たたき」は渋った。企画部は、そんな海務部の背中を押すのが役割。でも、上司は部下たちに「どこまで進んだ?」と聞くだけで、動かない。

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プロフィール

街風 隆雄

経済ジャーナリスト

つむじ・たかお●1947年生まれ。71年慶応義塾大学経済学部を卒業後、朝日新聞社に入社。経済部記者として産業キャップ、金融キャップ、経済部次長、静岡支局長、本社編集委員などを歴任。2007年独立。著書に『私の源流―トップ経営者からのメッセージ』(朝日新聞社)などがある。

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