
近藤史朗:部下を追い込んだ「全力傾注」
経営者たちの40代:リコー社長[1]
「近藤さんには、設計屋らしい技術へのこだわりが、あまりない。新製品の構想段階から『どう売って、どう儲けるか』を考えていた」
経済ジャーナリスト 街風隆雄 撮影=門間新弥
設計屋でも「利益」を念頭に
96年12月、チームリーダーとして推進した大プロジェクトが仕上がった直後に、プロジェクトを支えてくれた2人の部下が退職した。近藤流の強引な開発手法に反発し、会社を去っていく――みんなが、そう受け止めた。実際には別の理由もあったのだが、経験のないほどの衝撃を受ける。47歳のときだった。
その1年8カ月前、東京・大森事業所に40数人の技術者らが集結した。初のデジタル複写機を開発するチームの発足だ。入社して22年、ずっとファクシミリの開発・設計を続けてきた。それが、なぜか、社運をかけた複写機の開発を任された。ナンバー2は、これも、複写機とは縁のない電子機器部門の出身者。だから、退社した複写機部門育ちのサブリーダーら2人は、まさに部隊長として力を尽くしてくれた「戦友」だ、と思っていた。
そんな部下たちに辞められた。こういうことは、そう多くの人が経験はしない。どんな思いだったのか。
たしかに、近藤流は型破り。「ルールを変えよう」が口癖だ。それだけではない。少しでも可能性があれば、次から次へと宿題を出し、チームの面々を、極限近くまで追い詰めた。際立ったのが、コスト削減だ。
部下たちは、よく覚えている。「近藤さんには、設計屋らしい技術へのこだわりが、あまりない。新製品の構想段階から『どう売って、どう儲けるか』を考えていた」。30代の前半、初めてリーダーとして設計を手がけた普通紙ファクスが、売れずに終わる。悔しさが、強烈に残った。以来、「利益が出ないのは事業ではない」が信条となる。
だから、デジタル複写機の開発でも、技術者たちに「設計者は、自分で図面を書いた製品が、いくらでできるか、わからなくてはいけない」と説き、簡単な見積もりツールをつくって、自らチェックさせた。リコーでは、前例のない手法だ。
専門外の電子回路選考会議に割り込んで、最先端のメモリーを使うように指示を出す。自社製の部品にこだわらず、いいものが安く手に入らないか、世界中を探させる。いまでは普通になったアウトソーシングだが、自前主義が当たり前だった社内はざわめき、上司が雷を落とした。
街風 隆雄
経済ジャーナリスト
つむじ・たかお●1947年生まれ。71年慶応義塾大学経済学部を卒業後、朝日新聞社に入社。経済部記者として産業キャップ、金融キャップ、経済部次長、静岡支局長、本社編集委員などを歴任。2007年独立。著書に『私の源流―トップ経営者からのメッセージ』(朝日新聞社)などがある。
武田薬品、富士通、資生堂……。経営者の知られざる素顔を描く。
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