
近藤史朗:「全員野球」へ導いた体の変調
経営者たちの40代:リコー社長[2]
「遊ぶために働く」が信条だった。それは、ずっと、変わっていない。
経済ジャーナリスト 街風隆雄 撮影=門間新弥
過働きで消えた右耳の聴力
99年、49歳になったころ、ときどき耳が痛くなった。めまいもし始める。前回(>>前回はこちら)紹介したように、それまで、とにかく「ワーカホリック」そのもので、仕事に全力を傾けてきた。このときも、プリンタ事業部の部長として、新製品の開発に打ち込んでいた。だから、変調を感じても放っておく。だが、その年の暮れ、突然、右耳の聴力が消えた。手術をしても、戻らない。
放っておいたことを、すごく悔やんだ。でも、もう元には戻らない。諦めると同時に、一つのことが頭に刻まれた。
「自分と同じような思いをする人間を、決して、つくってはいけない」
翌年10月、画像システム事業本部長に就任し、部下に最初に発したメッセージに、その思いが出た。
「今日は早く帰って、奥さんや子どもたちと一緒に食事をして下さい」
部下たちは、上司の「変身」に驚いた。だが、本心だった。開発プロジェクトの進め方も、がらりと変える。みんなが残業をしなくてもいいように、工夫した。もちろん、仕事をするときは徹底的にやらないと気がすまない性格は、変わらない。大学時代から続けている登山でも、失敗して途中で引き返すのは嫌いだ。みんなをゴールまで追い込んで、そして、おいしい酒を飲ませる。それが、リーダーとしての姿勢だった。
でも、聴力を失って考えたとき、「それだけでは、深みがないな」と思い直す。かつて、東急グループの総帥・五島昇氏と西武鉄道グループのトップ・堤義明氏の対談で、大きな対立点があった。堤氏は「いい仕事を続けるために、たまに休みをとってリフレッシュすることも必要だ」と、休みはあくまで仕事の潤滑油と主張した。一方、五島氏は「人生を豊かにすごすために、仕事で糧を得ているのであり、仕事はあくまで手段に過ぎない」と論じた。
よく考えれば、もともと自分も、五島氏のように「遊ぶために働く」が信条だった。それは、ずっと、変わっていない。だから、部下たちに「家族とすごす時間を大事にしろ」という言葉も、自然に言えた。
街風 隆雄
経済ジャーナリスト
つむじ・たかお●1947年生まれ。71年慶応義塾大学経済学部を卒業後、朝日新聞社に入社。経済部記者として産業キャップ、金融キャップ、経済部次長、静岡支局長、本社編集委員などを歴任。2007年独立。著書に『私の源流―トップ経営者からのメッセージ』(朝日新聞社)などがある。
武田薬品、富士通、資生堂……。経営者の知られざる素顔を描く。
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